「掃除」ということばを分解すると「掃いて」「除く」という意味である。
ところで、人々の心を整える役割を果たすとされる世界各国の宗教においては、自分の知る限り概ね日々の掃除を大事な日課としているようである。どうやら人は掃除をすることに公衆衛生上の役割以上のものを見出しているようにも見える。
あくまで日常の範囲でいうならば「除く」という機能は動作というより精神面で作用するように思える。除くものはかつて置かれたもの。かつて置かれたものを除く際、それが置かれた状況を振り返る。
どんな聖人君子であっても絶世の美男美女でも動物であるから日常生活を送っていれば市井の庶民と同じように日々飲み食いしては出し、動けば埃も立てば身体に垢も溜まるわけで、どんな潔癖症であっても生きる限りこの循環から逃れ得ることはできない。
ただし、至るところに埃の積もった家の家主とショールームとは言わないが小綺麗に整理された家の家主の容貌や人格にどのような違いがあるかは、言わずとも想像できるかと思われる。
掃除は日々の振り返りすなわち生活の復習であると言える。日々の復習を積み重ねる人とそうでない人、埃の話ついでに「塵も積もれば」という訳ではないが、そこから大きな差が出てくるのは言うまでもない。日々の掃除すなわち復習ができないのであれば、生活そのもののあり方を変えるべきであろう。